最近のいろいろ
はてなブログPro契約をせっかく更新したからにはなんか書くか……となったので、Scrapboxと用途がかぶらない定点観測的なメモを。
beatmania IIDX
Rootageの終わりごろに復帰して以来、モチベも高いまま楽しくやれてて良い感じ。
- Lincleでデビューして
- tricoroで熱量がピークに達し、
- SPADAでやらなくなって
- PENDUALでプレイデータ全消え
っていう流れ星みたいなプレイ歴なので、もう完全に新規の気持ちで地道に練習してる。
最近はゲーセンも分煙・禁煙が徹底されてるところが多くてありがたい。自分はタバコのにおいが苦手だし、煙ですぐに喉を傷めるので。
システムまわり
久々にやってみると、いろいろ進化しててやばい。エフェクターをロックできる機能とかすごくない? 知ってすぐCOMPRESSORに固定したんだけど、最近よく行く店舗が爆音ぎみなのでEQ ONLYに変えた。hi-EQは下げぎみにするのが好きです。
師弟システムもありがたいし楽しい。いまは師匠に作ってもらったビンゴを長期計画で少しずつ埋めてるところ。弟子もできたぞ!!!
今作について
HEROIC VERSE、めちゃくちゃ好きなバージョンになりそう。まずカラーリングが良い。紫、ピンク、シアンの組み合わせは個人的に大好き。英雄(ヒーロー)っていうコンセプトもアツいし、ロボは格好良いし、システムボイスも好み。
デフォ曲
どれも良すぎない!? 特に、
- Virus Funk
- 曲もムービーも天才
- 可愛くて格好良くておしゃれ
- レーンカバー出してくれ←出た!!!!! 神
- PCと携帯用の壁紙もくれ
- iPhoneカバーもくれ
- Silly Love
- エモとはこのことだ、と言いたくなるムービー
- 曲が良すぎて、ソフラン苦手なのにいっぱいやりたくなる(つってもギアチェン要らないくらいの微ソフランだけども)
- DE DE MOUSEってすごいなあ……
- Hyper Drive feat. ぷにぷに電機
- 何もかもが好き
- 可愛くてせつない
- ムービーも良すぎる。SynthwaveとかRetrowaveっていうのかな?
- 女の子が目を閉じて踊るとこが特に好きで、なんとかしてプレイ中に見ようとするせいで手元がぐちゃぐちゃになる
- T-REX vs Velociraptor (In the Far east euphoria)
- なんかやればやるほど好きになってきた
- Tレックス vs ヴェロキラプトルって曲名よく考えたらクールすぎる
- メインのフレーズ? のところが何度聞いても飽きない
- 急に踊るよ〜
- POP TEAM EPIC
- 名リミックスだ〜!
- kors kありがとうという気持ち
- EXCITE
- これも名リミックスすぎる
- PONの声と合う
- 令和
- これも名リミックス(3回目)
- キャン様の「新元号は令和であります」、視界の端に映るだけでおもろいのずるい
LIGHTNING MODEL
個人的にはかなり好き!!! 特にお皿の重さを任意に設定できるようになったのが最高。今は下から2番目に設定してる(腕力がないし、適性レベル的にもそこまでの重さを必要としないので)。
先行収録曲も良すぎる。特にCrank Itの良さ何事? やばくない?
ただしちょっと酔う
LIGHTNING MODELで何クレか続けてやったとき、一度画面酔いが発生したのがちょっと気がかりかなー。だんだんモニタを見下ろしてるような感覚になり、そのまま底のない穴に落ち続けていくような浮遊感が発生してオアア……みたいな。☆9下位が精一杯の自分ですら酔ったわけだから、もっと難しい曲をやりまくる人が酔いを感じるともっときつそう。
対策として個人的に有効だったのは、ライティング設定をいじること。
- サイドパネル
- タッチパネル
この2つをオフにしたらだいぶましになった(ライトニング筐体がライトニングしなくなってしまうわけですが)。
まっすぐ落ちてくるノーツの動きと、視界を斜めに走る照明がアレしてなんらかの錯覚を起こすのかな?
プリコネRを始めた
まとまった時間ができた(理由は後述)ので、以前からけっこう気になってたプリコネRに手を出した。
絵柄の統一感といいゴリゴリ動くムービーといい、サイゲお金持ってるな〜! という印象。キャラ強化やクエストの種類がいろいろあって一瞬戸惑ったけど、数年前から地味に続けてる「スター・ウォーズ/銀河の英雄」とシステムほぼ一緒やんけ、と気付いたら一瞬で理解できた。プリコネはスター・ウォーズ。『スカイウォーカーの夜明け』の話はやめよう。
今のところペコリーヌとミヤコが可愛いです。いっぱい食べる素直な子が大好き。いっぽう、ツンデレや口の悪いキャラが苦手な自分でもキャルのことはそんなに気にならない、というかけっこう好感が持てるので、キャラメイキングの妙だな〜と思います。
お財布がなくなって被害届を出した
結論からいうと無事に戻ってきた。とはいっても、なくしたことに気付いたときはもちろん動揺したし血の気が引いた。比喩でなく本気で大声あげてガチ泣きしました。だって免許証やクレカ、キャッシュカードだけでなく、叔父からもらったお守り的な物も入ってたので。
この件で、交番のおまわりさん、警察署の担当のお姉さん、盗犯科の刑事さん、といろんな方にお世話になった。みなさん本当にいい人で感謝しかない。SNSやネットニュースだと叩かれてることのほうが多い印象だけど、自分は警察の方々にいつもよくしてもらってるよ。
五等分の花嫁
ドハマりした。どのくらいドハマりしたかというと、ひっっっさびさにコラボドリンクというものに手を出して、しかも全キャラ分一気買いしたレベル。スタンプラリーもちゃんと完走しました。
キャラとしては三玖と四葉推しだけど、全員幸せになってくれないと困る。
退職した
ので、現在無職です。
詳細は伏せるけど会社都合での退職なので、いい機会だと思って、時間を大切にして心身を休めたいと思う。転職活動もじっくり腰を据えて取り組んでます。
けど推し事は待ってくれねえんだよな〜〜〜!!! 想定外のタイミングで退職したから本体のツアーと担当のツアー先行と推しのソロどうすんのって話!!! 行くけど!!!
終わりだよ〜
最近はだいたいそんな感じです。
やっぱり、Scrapboxの楽ちんアウトプットに慣れるとブログ記事を書くのがきついな〜。書き始めてからたぶん普通に1ヶ月くらい経ってるもんな。
などとぐちぐち言いつつも、Pro契約が切れる前にはまた更新するんだと思います。
30歳になりました
なりました!!!!!
毎年恒例の誕生日日記。今年からはこのブログでなくScrapboxに書くつもりでいたんですけど、数日前にメールを確認してたら「はてなブログのPro契約を自動更新したから1年分の利用料引き落としといたよっ!」ってメールが来てて目から血の涙が5リットルくらい出た。契約解除しなきゃな〜〜〜と思いながらそのままになってたんですよね。はあ〜。
なので、せめて少しでも利用料のもとをとっておきたく、今年もここで1年を振り返ります。
良かったこと
アウトプット量を増やした
主にScrapboxのおかげ。
彫刻のように、まずざっくり形をとって、時間をかけて少しずつ丁寧に細かいところを詰めていく、みたいなアウトプットがしやすい。あと、共有機能やユーザーランキング、コメント・トラックバックといったものが排除されてるので、一人で黙々と考え事を深めるのに向いてる。
このへんに詳しく書いた。
オタ活を楽しんだ
ライブをはじめ、接近戦や地域密着型のイベントなどなど、たくさん楽しいことがあった!
仕事の段取りが上達した
スケジュールを逆算して「今日までにここまで終わってればOK」と設定するのがちょっとずつうまくなってきた。罪悪感なく定時で帰れるようになっていい感じ!
加えて、「なんかやばそうだな」「この感じだと間に合わなくない?」というのをより具体的に認識できるようになったおかげで、周りにヘルプを求めることができるようになってきた。今まではこれができなくて自分で自分の首を絞めまくってたので、大きな進化といえると思う。
早起き習慣を始めた
先週から始めたばかりなんだけど、1時間ちょっと早く起きることにしてみた!
朝が苦手な自分にとっては、1週間継続できてるだけで本当に奇跡的。めちゃくちゃに自分を褒めてる。すごすぎる。同時に、
- 逆算すると何時くらいに寝ておかなければいけないか
- その就寝時間までに何をするか・何を諦めるか
などなども考えながら生活するようになった。えらい。
見直したいこと
先延ばしを減らす
はてなブログのPro契約解除とかね。
他にも、諸々の連絡や申し込みなど、忘れず早めに済ませるようにしたい。自分においては「後でやっとこ」の「後」は二度と来ないのだと心得ること。
友人のみなさまにおかれましては本当にご迷惑おかけしております。いつもありがとうございます。自分は「後で連絡しようと思って忘れてる」「会ったら渡そうと思ってたけど会っても思い出さない」というのをやらかしがちなので、「忘れてそうだな〜」と思ったらつついてみていただけると助かります。
スケジュールに願望を反映させない
先に『仕事の段取りが上達した』とは書いたけど、まだまだだな〜と思うことも多いので頑張る。
「このくらいでできそうだな」と見積もった時間の3倍は実際にかかると考えるべし、という通説は本当にその通りで、何度も身をもって実感させられてるんだけど、まだ火事場の馬鹿力をスケジュールに組み込む癖が抜けない。根治させたい。
やってみたいこと
アウトプットを印刷物として形にする
webとかローカル環境とかアナログで書いてるもの、タイミングを決めて手に取れる形にまとめてみたい。
写真を勉強する
念願のカメラを買った! イルミネーションの季節も来るし、たくさん持ち歩いて練習したい。
絵を勉強する
昔は「漫画家になりたい」と言ってたくらい絵を描くのが大好きだったんだけど、いつの間にかちょっとしたらくがき程度しか描かなくなってた。最近モチベーションが再燃する出来事があったので、がんばるぞ!!! といった感じ。
がんばります
20代は人生楽しいレベルが右肩上がりだった。30代以降もこのまま爆上げしていきたい! 引き続きよろしくお願いいたします。
「うっかり」を茶化したくないと思った
行間を深読みしたりデータを参照して考察したりするのが大好きなオタクが、FNS歌謡祭での3秒くらいのカットについてうだうだとくだをまくだけの文章です。
わからない方への配慮は一切しないので、「何のこと?」ってなる方多数だと思う。そう思った方はこの記事のことは気にしないでください。大したことじゃないとは言わないけど、知らなくてもまったく問題なく生きていける話だから、「何のこと?」のままで大丈夫です。
あと同じこと何回も言ってます。もっと時間かければもっと整えられる気がするけどもうええわ。思考とアウトプットのグルーヴ感、大切にしていこうな。
担当がうっかりしてた
なんというかこう、うっかりしてたじゃないですか。
リアルタイムで目撃したときは正直「おいおいおいおい!!!」ってひな壇芸人ばりにツッコんじゃったしひっくり返って笑っちゃったけど、時間が経てば経つほど、あれを茶化したりネタにしたりしてのちのちまで引きずることはしたくないなと思った。
少なくとも、ただの受け手でしかない自分は茶化さずにいたいと思った。
あれはたぶん、というか確実に、ご本人にとっては不本意な映り方だったと思うんですよ。どう考えても、狙ってやったわけでは絶対にない。
しかも、本体の仕事には目に見えて気合いを入れて臨んでいるあの方のことですから、なおさらです。「年末」の「ゴールデン」の「音楽特番」という責任重大よくばりセットみたいな番組で、自分がピンで抜かれた瞬間に狙いどおりの姿を見せられなかったというのは、ご本人にとってはどうだったんだろう、とずーっと考えてました。
あの方は、ライブのMCなんかで自分の言葉選びによって語弊が生じても、ニコニコ笑って「いいのいいの」と流したりする人だけど、今回のそれは果たして「いいのいいの」で済ませることができるものだったのだろうか?
「悔しい」とまで強く思ったかどうかはわからないけど、少なくとも「不本意」ではあったんじゃないかなあと。狙ったものではない。笑ってほしくてやったわけではない。ウケ狙いではない。
放送終了後に、ご本人がSNSとかですぐネタにしていれば話は別なんですけど、しなかったじゃないですか(してないですよね? してたらごめん教えてほしい)。あの方の性格をかんがみれば、自らネタにしなかったということは、そういうことなんじゃないかなと思うんですよね。
となれば、受け手の自分は、それを掘り返して茶化すことはしたくないなと。たとえ愛を込めてやっているつもりだろうと。
いやごめんなさいめちゃくちゃ笑いましたけども。「それでこそ!!!!!」とまで思いましたけども。なんならテレビの前で拍手しましたけども。
(床にひっくり返ったままテレビに向かって大喜びで手を叩くオタク珍百景)
ただ、ご本人にとっては不本意だったかもしれないけれど、あなたのいいところがすごくよく表れてて愛しさが深まるワンシーンでしたよと伝えたい。そういう意味ですごく「よかった」ですと伝えたい。
いや別にご本人には伝わらなくていいので、自分の中でそう思っておきたい。
ここまでで話した「不本意ではあったんじゃないか」「本人がネタにしてないということはそういうことだよな」というのも、自分が勝手に種々の状況からぼんやりと想像してるだけのことです。
だから、蓋を開けてみれば全然違ってる可能性だって多分にある。頭を抱えるほど悔しがってるかもしれないし、逆に「あ、そんなことあったね笑」というくらい気にしてないかもしれない。それはわからない。人の気持ちは本人にしか知り得ない。他人が勝手に推定していいことではない。そこはわかってます。
わかってるけど、わかったうえで話を続けます。「ご本人のお気持ち当てっこゲーム」をしているのではなくて、「これを書いている自分自身が自分の感情をどう落とし込むか、という話」をしているからです。
というか、推しとかオタクとか関係なく、人が何かをうっかりしたときに他人がそれを笑う権利があるのか? というシンプルな問題でもある。自分がテレビの前で笑った事そのものは消えない事実としても、「これ、笑っていいものなんだっけ?」と立ち止まることは忘れずにいたいなと。
あのうっかり、「可愛い」ともまた違うんだよな。本人が可愛いって言われたがってるとも思えないから、なおさらそう思うんですけど。
もちろん、本人が欲しがっている感想以外を発してはいけないなんて法はないんだけど、それでも自分は「可愛い」以外にもっとしっくりくる言葉を探すことを諦めたくない。思考を止めたくないというか。
あの方について「可愛い」という言葉を採用してる他人のことを、思考停止してると断じてるわけじゃないですよ。あくまで自分の話をしています。これは壁打ちです。ここは発信する場ではなくて日記なので、全ての発言は内向きの独り言です。
しっくりくる言葉といえば。
この記事の下書きの段階では、冒頭の見出しは『担当がやらかした』でした。それを『担当がうっかりしてた』に書き換えました。「やらかした」という言葉がしっくりこなかったからです。もっとなんか、もっとなんかある気がするなと思って。
だって「やらかした」ってネガティブなイメージが伴う言葉ですけど、実際あのシーン最高じゃありませんでした? 最高だったよな。最高だと思ったんだよ。だから「やらかし」とは違うなと思ったんですよ。
とは言え、とは言えなんですけど、FNS歌謡祭のカメラマンさんたち、相当入念にカット割りを組んで緻密に撮っていらっしゃいましたよね。映像制作等についてはド素人の自分が当日の放送を見届けたかぎりだけど、幾度となく舌を巻いたもんな。
となれば当然、アーティストを入れてのリハもしっかりと行ったと思うんですよね。それでいてあの方だけあそこの振りがああなるっていうのはやはりなんというか、あの、やっぱり愛しいというほかないなと思いました。
担当、愛しいな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!
以上です。
29歳になりました
郷ひろみさんのお誕生日ですね!!! おめでとうございます。
ここからは全部余談ですが、自分もめでたく29歳になったので、ざっくりと28歳を振り返ろうと思います。
良かったこと
徳が噴射された
積んでおいた(と思われる)徳が、好きなアーティスト関連で盛大に仕事してくれた。
- 友達がたくさん増えた
- ライブで直筆サイン入りフリスビーが当たった
- トークイベントに当選した
- ライブで整理番号1番がご用意された
- いちばん応援してる人が、そのライブにサプライズゲストとして登場した(もちろん最前ゼロ距離で見た)(圧倒的"光"に目をやられた)
- 当日券を買ったらアリーナ席がご用意された
- 応援してたバンドの活動終了前のラストライブに、ギリギリでご縁をいただいて参加できた
徳ゲージをためなおすべく、今後ともいいことをいっぱいしたい。
見切ることを覚えた
行けなかった現場、買えなかったモノ、それらを「ご縁がなかった」とまあまあ素直に受け止められるようになった。今まではいつまでもぐずぐず悔やんでいたんだけど、悔やんだところでチケットがご用意されるわけでも完売したものが再販されるわけでもないので、さっさと切り替えて別のものに目を向けたほうがお得っぽい。
幸か不幸か、現代は面白いモノがそこらじゅうに転がっていて、楽しもうと思えばいつでもどこでもなんでも楽しめる。「あんなに素敵なものは二度とない」「あんなチャンスは二度と来ない」といくら強く思っても、意外とすぐに「次」が降ってくる。悔やんでる暇がない。
自分の意見を持つようになった
なんらかの主張やニュースに触れたとき、取り敢えず自分で考えてみる癖がついてきた。
今までは、偏った考えを持ちたくないという気持ちのもと、自分のポジションを決めないように意識してた。それで、たいていどんな意見を聞いても「なるほどなるほど確かにそうだなあ」と頷いていた。「どっちも一理あるなあ」みたいな。
でも最近、こういうのをやめたくなってきた。自分の意見を持たないままにあれもこれもわかるわかる言うだけなのって、偏ってるどころか「考え」そのものが無いということであって、いちばんやばいのではないか? と思うようになったから。
自分のポジションをあるていど決めたうえで他人の意見を取り入れるのと、決めないままに取り入れるのとはぜんぜん違うと思う。
後者ばかりを続けてきた自分は、他人の受け売りでしか喋れなくなりつつある。ときおり自分の意見らしきものが浮かんでも、「これ"合ってる"かな?」と検索をかけたりSNSをたどったりして、同じ意見の人を見つけないと安心できないようになってる。合ってる合ってないの問題じゃないし、お仲間がいれば"合ってる"ってわけでもないのに。
そもそも自分が「偏った考えを持ちたくない」「自分のポジションを片一方に決めたくない」と考えるようになったのは、誰にも嫌われたくないという気持ちからだったように思う。敵を作りたくないから、どこにも留まらない。意見を持たない。主張しない。 でも、こういうスタンスって、敵を作らない代わりに味方もできないなと気づいた。今さらだけど。遅いけど。
なので、なにごともできるだけ自分の意見を持つようにしてる。意見が対立してるのを見たり、自分の意見に近い主張が叩かれてるのを見たりすると胃が痛くなることもあるけど、自分のことを少し好きになれた気がする。
メタ認知を自然にできるようになった
悲しくなったりカッとなったりしたとき、「悲しくなっているなあ」とか「Aにカッとなってると見せかけてこれはBに対してモヤモヤしているなあ」とか、自分の感情を冷静に認識できるようになってきた。比較的、だけど。
見直したいこと
感情の処理が下手
自分がこういう感情を抱いていて、その原因はこれで……と認知すること自体は上達してきたけど、いざそれを処理しようとするとうまくいかないことがある。
「悲しくなっているなあ」までは冷静に到達できるんだけど、そこから先この悲しさをどうすればいいのかわかんねえ、みたいな。あるいは「あれをやって気を紛らわせればいい」までは分かるんだけど実際やっても紛れねえ、みたいな。
体調をいちど崩すと戻らない
まさに今もマスクしてゴッホゴホ咳き込みながらこれを書いてる。昨日ぼんやり「久々に風邪をひくと長引くもんだな〜」と考えてたんだけど、1秒後に「『久々に風邪をひくと長引く』じゃなくて『この年齢になって風邪をひくと長引く』なのでは?」と思い至ってしまってきびしい気持ちになった。
体を鍛えて健康に生きたい。筋肉は裏切らない…
自分の意見を持つと疲れる
今まで日和って生きてきたしわ寄せだと思う。なにごとにも自分の考えを持っておこうとすると、当然なにごとも真剣にとらえないといけない。真剣に、というのは真顔で深刻にという意味じゃなくて、真摯にということ。
そうするとまじで疲れる。疲れるからもう何も見たくないし何も考えたくない、という気持ちになるけど、思考停止には陥りたくないのでもうすこし頑張ってみる。
やってみたいこと
アウトプットを増やす
ここに自分の考えを書くのも含め、「他の人が見られるかたちで」「継続的に」アウトプットしていきたい。仕事もひとつのアウトプットだと思うので、もうちょい頑張りたい。
身の回りを「ちょっといいもの」に替える
たとえばTシャツとか、上着とか、かばんとか。身の回りのものを、一つずつ「ちょっといいもの」に替えていきたい。こういうことに意識が向くようになるのも、この年代ならではのような気がする。
29歳……29歳かあ……感慨深い。そりゃ平成終わるんだから平成元年生まれも三十路目前になるわな。ネガティブな感情は無くて、ただただ「感慨深い」。来年はどんな1年にしようかな。
がんばります
がんばりつつも楽しんで生きます。よろしくお願いします。
嫌味を言えるようになりたいけど嫌味を言いたいわけではない
打てば響くような反応速度で、嫌味を返せる人がいる。SNSでも、そういうエピソードをよく見かける。上司にネチネチ言われたから、思わずこう返しちゃったとか。馬鹿にされたからこう言ってやったとか。
うらやましい、と皮肉でなく純粋に思う。そういうチクリとした返し、してみたい。ひねりがきいていて、相手を瞬間沸騰させながらも反論の余地を与えないブラックな言葉選び。その場ですぐに思いつければ、さぞ清々しかろうと思う。いいなあ、いいなあ。自分には到底できないから、いっそううらやましい。
自分は瞬時に言葉を精製して舌に乗せることが苦手だし、そもそもの気性がおとなしいほうだから、たとえ思いついたとしても言えないと思う。なにしろ、電車のホームで割り込んできたひとの肩を叩いて「最後尾はあちらですよ」と告げるだけでも数分かかるのだ。深呼吸して脳内で何度もシミュレーションして、よし、と腹をくくる必要があるから。いざ言ったあとも、しばらくは心臓が耳元でばくばく音を立てておさまらない。そういう気質だ。こういうことを息をするように自然にやってのけられたらどんなにいいだろう、と思いながら、最後尾に並び直すその人を見送っては、ほてった顔をこっそり扇いで冷ましている。
でも、と、最近気づいた。というか、以前から感じていたことの尻尾をやっと掴んだ。自分は「嫌味を言える人間」になりたいだけであって、「嫌味を言う人間」になりたいわけじゃない。
嫌味を言えるだけの「強さ」が欲しいのだ。おまけに望むなら、嫌味を思いつくだけの「賢さ」が欲しいのだ。突っかかられても怯まず、胸を張って目を見て対峙して、言葉を返せる強さ。相手の弱みとロジックの穴を即座に把握して、相手を盛大に挑発しつつも自分の品位は失わないラインの言葉をピックアップして、小気味よく返せる賢さ。
でも、もしその強さと賢さを手に入れて、嫌味を言えるようになったら、その武器は「嫌味を言わない」ことに使いたい。逆説的というか悪魔の証明的だけど、表に出さないことこそが、強さのいちばんの証明だと思う。
嫌味を言えない人間ではなくて、選択的に嫌味を「言わない」人間になりたい。言えないから言わないのではなくて、言えるけど言わないという選択。 嫌味を言えるようになって初めて「言わない」ことを選ぶことができる。嫌味を言えないままではそれができない。悔しいしもどかしい。
――と歯噛みしながらも、そんな自分を見下ろすもうひとりの自分はこうも考えている。「でもまあ、嫌味をやたらとまき散らして周囲を不快にさせてる人よりは、今の自分のほうがマシかもしれない」。
負け惜しみや自己防衛だと言われればそれまでだけど、この気持ちもまた事実。ようするに自分は、嫌味を言える強さに憧れてはいるけれど、嫌味を言うことそのものを美徳だとはどうしても思えない。ややこしい。
望むとおりの強さと賢さをじっさいに手に入れれば、このややこしくも面倒くさい気持ちも落ち着くんだろうか。