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わくぺめも

29歳になりました

郷ひろみさんのお誕生日ですね!!! おめでとうございます。

ここからは全部余談ですが、自分もめでたく29歳になったので、ざっくりと28歳を振り返ろうと思います。

良かったこと

徳が噴射された

積んでおいた(と思われる)徳が、好きなアーティスト関連で盛大に仕事してくれた。

  • 友達がたくさん増えた
  • ライブで直筆サイン入りフリスビーが当たった
  • トークイベントに当選した
  • ライブで整理番号1番がご用意された
  • いちばん応援してる人が、そのライブにサプライズゲストとして登場した(もちろん最前ゼロ距離で見た)(圧倒的"光"に目をやられた)
  • 当日券を買ったらアリーナ席がご用意された
  • 応援してたバンドの活動終了前のラストライブに、ギリギリでご縁をいただいて参加できた

徳ゲージをためなおすべく、今後ともいいことをいっぱいしたい。

見切ることを覚えた

行けなかった現場、買えなかったモノ、それらを「ご縁がなかった」とまあまあ素直に受け止められるようになった。今まではいつまでもぐずぐず悔やんでいたんだけど、悔やんだところでチケットがご用意されるわけでも完売したものが再販されるわけでもないので、さっさと切り替えて別のものに目を向けたほうがお得っぽい。

幸か不幸か、現代は面白いモノがそこらじゅうに転がっていて、楽しもうと思えばいつでもどこでもなんでも楽しめる。「あんなに素敵なものは二度とない」「あんなチャンスは二度と来ない」といくら強く思っても、意外とすぐに「次」が降ってくる。悔やんでる暇がない。

自分の意見を持つようになった

なんらかの主張やニュースに触れたとき、取り敢えず自分で考えてみる癖がついてきた。

今までは、偏った考えを持ちたくないという気持ちのもと、自分のポジションを決めないように意識してた。それで、たいていどんな意見を聞いても「なるほどなるほど確かにそうだなあ」と頷いていた。「どっちも一理あるなあ」みたいな。

でも最近、こういうのをやめたくなってきた。自分の意見を持たないままにあれもこれもわかるわかる言うだけなのって、偏ってるどころか「考え」そのものが無いということであって、いちばんやばいのではないか? と思うようになったから。

自分のポジションをあるていど決めたうえで他人の意見を取り入れるのと、決めないままに取り入れるのとはぜんぜん違うと思う。
後者ばかりを続けてきた自分は、他人の受け売りでしか喋れなくなりつつある。ときおり自分の意見らしきものが浮かんでも、「これ"合ってる"かな?」と検索をかけたりSNSをたどったりして、同じ意見の人を見つけないと安心できないようになってる。合ってる合ってないの問題じゃないし、お仲間がいれば"合ってる"ってわけでもないのに。

そもそも自分が「偏った考えを持ちたくない」「自分のポジションを片一方に決めたくない」と考えるようになったのは、誰にも嫌われたくないという気持ちからだったように思う。敵を作りたくないから、どこにも留まらない。意見を持たない。主張しない。 でも、こういうスタンスって、敵を作らない代わりに味方もできないなと気づいた。今さらだけど。遅いけど。

なので、なにごともできるだけ自分の意見を持つようにしてる。意見が対立してるのを見たり、自分の意見に近い主張が叩かれてるのを見たりすると胃が痛くなることもあるけど、自分のことを少し好きになれた気がする。

メタ認知を自然にできるようになった

悲しくなったりカッとなったりしたとき、「悲しくなっているなあ」とか「Aにカッとなってると見せかけてこれはBに対してモヤモヤしているなあ」とか、自分の感情を冷静に認識できるようになってきた。比較的、だけど。

見直したいこと

感情の処理が下手

自分がこういう感情を抱いていて、その原因はこれで……と認知すること自体は上達してきたけど、いざそれを処理しようとするとうまくいかないことがある。

「悲しくなっているなあ」までは冷静に到達できるんだけど、そこから先この悲しさをどうすればいいのかわかんねえ、みたいな。あるいは「あれをやって気を紛らわせればいい」までは分かるんだけど実際やっても紛れねえ、みたいな。

体調をいちど崩すと戻らない

まさに今もマスクしてゴッホゴホ咳き込みながらこれを書いてる。昨日ぼんやり「久々に風邪をひくと長引くもんだな〜」と考えてたんだけど、1秒後に「『久々に風邪をひくと長引く』じゃなくて『この年齢になって風邪をひくと長引く』なのでは?」と思い至ってしまってきびしい気持ちになった。

体を鍛えて健康に生きたい。筋肉は裏切らない…

自分の意見を持つと疲れる

今まで日和って生きてきたしわ寄せだと思う。なにごとにも自分の考えを持っておこうとすると、当然なにごとも真剣にとらえないといけない。真剣に、というのは真顔で深刻にという意味じゃなくて、真摯にということ。

そうするとまじで疲れる。疲れるからもう何も見たくないし何も考えたくない、という気持ちになるけど、思考停止には陥りたくないのでもうすこし頑張ってみる。

やってみたいこと

アウトプットを増やす

ここに自分の考えを書くのも含め、「他の人が見られるかたちで」「継続的に」アウトプットしていきたい。仕事もひとつのアウトプットだと思うので、もうちょい頑張りたい。

身の回りを「ちょっといいもの」に替える

たとえばTシャツとか、上着とか、かばんとか。身の回りのものを、一つずつ「ちょっといいもの」に替えていきたい。こういうことに意識が向くようになるのも、この年代ならではのような気がする。

29歳……29歳かあ……感慨深い。そりゃ平成終わるんだから平成元年生まれも三十路目前になるわな。ネガティブな感情は無くて、ただただ「感慨深い」。来年はどんな1年にしようかな。

がんばります

がんばりつつも楽しんで生きます。よろしくお願いします。

嫌味を言えるようになりたいけど嫌味を言いたいわけではない

打てば響くような反応速度で、嫌味を返せる人がいる。SNSでも、そういうエピソードをよく見かける。上司にネチネチ言われたから、思わずこう返しちゃったとか。馬鹿にされたからこう言ってやったとか。
うらやましい、と皮肉でなく純粋に思う。そういうチクリとした返し、してみたい。ひねりがきいていて、相手を瞬間沸騰させながらも反論の余地を与えないブラックな言葉選び。その場ですぐに思いつければ、さぞ清々しかろうと思う。いいなあ、いいなあ。自分には到底できないから、いっそううらやましい。

自分は瞬時に言葉を精製して舌に乗せることが苦手だし、そもそもの気性がおとなしいほうだから、たとえ思いついたとしても言えないと思う。なにしろ、電車のホームで割り込んできたひとの肩を叩いて「最後尾はあちらですよ」と告げるだけでも数分かかるのだ。深呼吸して脳内で何度もシミュレーションして、よし、と腹をくくる必要があるから。いざ言ったあとも、しばらくは心臓が耳元でばくばく音を立てておさまらない。そういう気質だ。こういうことを息をするように自然にやってのけられたらどんなにいいだろう、と思いながら、最後尾に並び直すその人を見送っては、ほてった顔をこっそり扇いで冷ましている。

でも、と、最近気づいた。というか、以前から感じていたことの尻尾をやっと掴んだ。自分は「嫌味を言える人間」になりたいだけであって、「嫌味を言う人間」になりたいわけじゃない。

嫌味を言えるだけの「強さ」が欲しいのだ。おまけに望むなら、嫌味を思いつくだけの「賢さ」が欲しいのだ。突っかかられても怯まず、胸を張って目を見て対峙して、言葉を返せる強さ。相手の弱みとロジックの穴を即座に把握して、相手を盛大に挑発しつつも自分の品位は失わないラインの言葉をピックアップして、小気味よく返せる賢さ。
でも、もしその強さと賢さを手に入れて、嫌味を言えるようになったら、その武器は「嫌味を言わない」ことに使いたい。逆説的というか悪魔の証明的だけど、表に出さないことこそが、強さのいちばんの証明だと思う。

嫌味を言えない人間ではなくて、選択的に嫌味を「言わない」人間になりたい。言えないから言わないのではなくて、言えるけど言わないという選択。 嫌味を言えるようになって初めて「言わない」ことを選ぶことができる。嫌味を言えないままではそれができない。悔しいしもどかしい。

――と歯噛みしながらも、そんな自分を見下ろすもうひとりの自分はこうも考えている。「でもまあ、嫌味をやたらとまき散らして周囲を不快にさせてる人よりは、今の自分のほうがマシかもしれない」。
負け惜しみや自己防衛だと言われればそれまでだけど、この気持ちもまた事実。ようするに自分は、嫌味を言える強さに憧れてはいるけれど、嫌味を言うことそのものを美徳だとはどうしても思えない。ややこしい。

望むとおりの強さと賢さをじっさいに手に入れれば、このややこしくも面倒くさい気持ちも落ち着くんだろうか。

DTC -湯けむり純情編- from HiGH&LOW 舞台挨拶メモ

  • 2018年9月29日(土)09:20開始の回
  • 登壇者: 山下健二郎、佐藤寛太、佐藤大樹、八木将康、天野浩成、笛木優子、新井美羽、西川俊介、廣瀬智紀、西村一輝、水野勝、田中俊介、守屋光治、井澤勇貴、立木文彦、平沼紀久(冒頭の挨拶順、敬称略)
  • 手書きのメモをもとに書いているので、細かい語尾などは雰囲気です
  • 致命的なネタバレは含まないと思いますが、上映後の舞台挨拶なので保障はできません
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怖い夢

朝。夢の中で、起きた。シャワーを浴びようと思って、まずは玄関に向かった。防犯のため、シャワーを浴びる前には玄関の鍵がかかっているかを確認する、と決めているから。このへんは現実に朝起きてからとる行動とまったく同じなので、まだ夢だと気づいていない。

玄関に行って、ドアノブのあたりを見たら、鍵が開いていた。施錠しようと思ってなんの気なしに手を伸ばした、ら、その瞬間ドアの向こうから貫通するように手が伸びてきて両手を掴まれた。乱暴な感じでも何か音がするわけでもなく、まるではじめから誰かがそこで静かに待っていたみたいだった。

夢の中では、とっさに「覗き穴を通って手が伸びてきた」んだと思った。もちろんそんなん起きるわけがない。覗き穴とは全然違う位置だし、片手ずつ別々に、2ヶ所からぬっと手が伸びてきたし、そもそも小さな覗き穴から手は出せない(『目は4つもない』のコピペみたいだ)。今思うとわけがわからない状況だけどそれでも違和感はなくて、夢だとは気づかなかった。脳の補正力ってすごい。

とはいえ、夢だと気づいてなくても(気づいてないからこそ)まともに思考が働かないくらい怖かった。握られた手の生暖かさがはっきりわかって、無機物ではなく明らかに人のものなんだと思い知らされる肌の柔らかさも伝わってきて、気持ち悪くて怖くて怖くて、叫ぼうとしたけど声が出なかった。喉が締まったようになって息が苦しい。しかもそこで思い出してしまった、ドアの鍵は開いている。ドアの向こうにいる人(ヒトじゃないかもしれない)にぱっと手を離してドアを開けられてしまったら、と思うと安直に振り払うこともできなくて、両手を生暖かく脈打つ手に掴まれたまま、とにかく混乱してやばいやばいやばいやばいって考えていたら目が覚めた。

どうやら、うつぶせに寝ていたらしかった。両手を重ねて、それを枕にするようにして二度寝していたっぽい。そのせいでこんな夢を見たんだと分かって、一気に肩の力が抜けた。じっさいに玄関に行ってみたら、鍵はちゃんとかかっていた。よかった。

という夢を見たんだ

この文章、長いこと下書きに保存されっぱなしになっていて、最終更新日を見たら『2018/3/30 15:06:18』とのことだった。2ヶ月も前となるとこんな夢を見たこと自体完全に記憶から消えていたけど、読み返していたらあの手の感触や自分の焦りをはっきり思い出せた。夢を書き留めておくのも結構面白いもんだなあとうんうんうなずきながら今この部分を追記してる。けどお風呂に入る前に読んだのは失策だったかもしれないな。

脳みそポヨポヨになりたいならこれ!『カンフー・ヨガ』

観ている間ずっと頭の上に「?」が500個くらいポヨポヨ浮かんでたので、後ろの列に座る人には邪魔だったかも。ってくらいヤバい映画だった。エンドロールをぼんやり眺めながら「自分は……自分は今なにを目撃したんだ……? 何を観たんだ……何だったんだこれ……」ってひたすら自問した。ジャッキー映画ってみんなこういう感じ(こういう感じ)なんですか? それとも今作がずば抜けてヤバかったんですか? それを確認する意味でも今すごく過去作を観てみたくなってる。

全編通して「こまけぇこたぁいいんだよ」のパワーが満ちあふれてた。HiGH&LOW程度(とあえて言う)で「設定ガバガバだからな〜」とかナメたことぬかしててまじですみませんでした、とどこへともなく謝りたくなったほど。ハイローなんて可愛いもんだ。

最近、映画を観たらすぐ手帳に感想をメモするようにしてるんだけど、『カンフー・ヨガ』のページにはこう書いてある。

ライオンとダンスしか頭に残ってねえ……

そう、「ライオン」と「ダンス」しか頭に残ってないのだ。鑑賞してすぐメモったのにこのありさまなのだ。ライオン可愛かったなあ。コミカル全振りみたいなポジショニングが最高だった。スリリングな要素の一つとして猛獣は鉄板だけど、カンフー・ヨガのライオンは「そうきたか!」という感じで、客席のあちこちからフフッと笑いが漏れていた。

笑えるとはいえ、カーチェイスは文句なしに超絶すごかった。合間あいまにライオンちゃんの「がおーん!」とジャッキーの「ウワーッ!」が差し込まれるので総合的には軽い口当たりなんだけど、とにかく車がドッカンドッカン吹っ飛んでて景気がよろしい。お金のかかってるカーチェイスは最高。あとインド人のスーパーヒーロー着地おもしろすぎた。そんなんありかよ!(CV: 高橋一生)

どのシーンどのカットを思い出しても「で結局なんだったのあれ」ってなるの面白すぎる

冒頭のインド版戦国無双なんだったのあれ。財宝が氷の下に眠ることとなったいきさつを描くにしてももうちょっと軽めのなんかこう、あったやろ他に。なんで前菜に家系ラーメン出してくるんだよ。長尺だしCGに気合い入りすぎてるし、途中で「このまま2時間突っ走る気か?」って不安になったし(それはそれで超観たい)。

タイトルであるところの『カンフー・ヨガ』というフレーズすら、鑑賞後には「いや結局なんだったんだこれ」ってポスターにツッコむしかなくなるのがすごい。カンフー定食のハーフとヨガ定食のハーフがセットになってるのかと思って食堂に行ったら、マジックペンで「ヨガ」って書かれたすりごま容器がちょこんと置かれてるだけのカンフー定食が出てきたみたいなもんだったでしょ。ほぼほぼカンフーやんけ。しかもヨガよりはるかにでかいインドダンスがデザートについてきたせいで胃がびっくりしてしゃっくり止まんない。ヨガってなんなんだ。カンフー・ヨガってなんなんだ。クルーに一人くらい「これタイトル『カンフー・インドダンス』のほうがよくない?」って言う人おらんかったんか。衝撃的すぎて喩えもままならなくてなんか腹立ってきた。いけないいけない、こんなときこそ深呼吸……ヨガの呼吸法が役に立つのよ……。

円盤化・配信されたらまた観るわ

腹は立つけど絶対もっかい観たい。こんなに全力で振り切ってる映画が現代に存在していていいんだ、という衝撃。世界中の誰が観てもニコニコさせられる楽しさ。お茶目で機転がきいてモテモテで強くて最高にチャーミングな「ジャック」という存在の強さ。本当、ジャッキー・チェンってすごいんだなあ。

そしてジャックの助手の男子(カワイイ系)と甥っ子(カッコイイ系)、どっちもそれぞれ魅力的で印象に残った。助手くんはインドダンスのキレがひとりずば抜けてたのでアイドルなんだろうな〜と思ったら合ってたっぽいので、所属グループにちょっと興味がわいてきてる。こういう出会いも面白いので、これからも色んな映画に触れていきたいな。

  • 鑑賞日: 2018/01/21